今回は、身体における生成変化をイメージしてみたい。私は、ドゥルーズの身体性を考えると、分子生物学福岡伸一の話を思い出す。詳しい内容は忘れたが、ある対談で「人間を構成している細胞が死に、そして新しい細胞が生まれるそのサイクルから見ると、細胞学的には1年後には全く別人になっている」と話をした時、対談相手が「それって、蚊柱みたいね」と言ったその的確な表現を思い出すのだ。

石を投げると、蚊柱はパッと散り消えるが、暫くすると同じ場所にまた蚊柱が立っている、そのイメージがドゥルーズの身体のイメージと重なる。ドゥルーズが使う『分子状』『微粒子』からも想像できることだが、それよりも『セルフエンジョイメント』(自己享楽)から誘発されるイメージが、蚊柱とオーバーラップするのだ。ドゥルーズは『セルフエンジョイメント』をこのように説明する。

「花や牛は、哲学者以上に観想します。しかも、観想しながら、自分で自分を充たし、自分を享受するのです。花や牛は何を観想するのでしょうか。自分自身の要件を観想するのです。石はケイ素や石灰質を観想し、牛は炭素、窒素そして塩を観想するわけです。これこそセルフエンジョイメントです。」

セルフエンジョイメントとは、自分とは異なる「元素」たち、つまり他者たちのまとまりとして観ること。この石や牛に倣うなら、人は身体を構成する細胞群を蚊柱のように観想することで、セルフエンジョイメント(自己享楽)を得ることができるのではないか。ポイントは、自分が変化するのではなく、自分の微粒子(細胞であり一匹の蚊)のあいだの関係の生成変化なのである。