というのも田代は、日本人として持っている美意識のようなもの、つまり日本にもともとある自然や信仰に「個」が接続しなければ、真の芸術ではないと書いてる。その象徴として挙げられるのは天皇の和歌。そこに接続しない個性尊重の芸術は、ただの個人の幼稚なわがままであるという理屈。

 ただ、田代がそう断定した西洋のシュルレアリスムは、本来「個人の意識を超えた無意識や集団の意識」に迫ろうとしていた芸術で、全然個性を尊重するだけの芸術じゃない(笑)。「個」を超えたところに真の芸術性があるという点で、ゴールは違えど両者は似通ったところがあると足立さんは指摘している。

 これ、僕らの現代アート評にもつながるところがあるでしょ。「個のエクストリーム」でもなく「私的」に溢れた個性尊重っぽいものなんて、僕らもアートだと思わないでしょ(笑)。