「政治性」とは何か?

それは「社会性」つまり他者との関係に置いて、立ち位置、上下などの「力」「パワー」という概念を導入することで現れる概念なのかもしれない。「権力」についての運動。

 

日本人はよく黄色人種に分類されるが、その肌は、「灰色」とイメージした方が、適切なように思える。欧米へのコンプレックス(それは、実質的に日本がアメリカの支配下にあるからだと言える)が白人-ヨーロッパ的なものへの憧れか、黒人-アメリカ的なものへの憧れが、黒か白か、選ぶように促す。しかし、黒人も日本人も、ある意味で「白人」に劣等感を抱いてきた部分がある。だからこそ、一部の黒人的想像力がクールジャパンなどアジア的想像力と結びつくのだろう。昔であればウータンはカンフーを取り入れ、最近では枚挙に遑がない...例えば、ニッキーミナージュが原宿に影響を受けたり、若手ラッパーがアニメを好んだり、、

 

今の自分は「どうせこんなもんだろう...」といった風に、願望水準が期待水準の低さに足を取られている。水準が高いと、他者に対し当たってしまったり、嫉妬してしまったりする。それが嫌でまた願望水準が下がる。たまには嫉妬してもいいではないか。嫉妬が元に何かを成し遂げられることもあるだろうから。そして、前提として他人は他人、俺は俺なのだ。短絡的にではなく長期的に物事を考えることが重要である。