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「身の丈」発言に見られるように、「身分」「階級」といったものを内面化させる権力/制度に人々は意識的になってきたと思う。隠されてきた権力を暴くのだ。
そうした「個」を萎縮させるものへの反抗としての「ギャル」が最近、出始めてきた。
あくまでツイッターを見る限りであるが、「ギャル」への憧れや志向というのが2019年初めあたりから散見されるようになった。
ここでの「ギャル」とは
・自分の好きなように行きてゆく。「私」を守り抜く「ギャル」
(といっても今の自己に固執するというよりか、新しく変身してゆく「私」を守るような上昇志向)
・ツイフェミのように極端ではなく、ある種の適当さを受け入れる主体としての「ギャル」
田島ハルコ曰く「引き裂かれたまま自己決定するのがギャルの良さ」とのこと
・強さへの憧れ
「ギャル」ではないが、ラッパーに背が低い人が多いのは、身体性のコンプレックスによってラッパーという強い身体像に憧れた結果なのではないか
といったところだろうか。
ではなぜ「ギャル」が流行り出しているのか。
インスタグラムなどにより、常に自己イメージの「変身」を可能にした。me too運動などの台頭。「身分」や「枠」に囚われない、、ポストポストモダンといったとこだろうか....。何でもありが進むと同時に当然モラルも壊れて行く危険性もあり。
パラパラなど、2000年代のカルチャー/ファッションへの回帰も関係しているかもしれない。tohjiのファッション、サンプリング元、、それは都会のヤンキー的なものへのノスタルジーなのか...しかし局所的な流行に過ぎないのかもしれない。