12/21

何かを中心に持ってくる(やって来た...)せいで、何かが周辺(ノイズ)へと追いやられる。その時、行われている操作とは、、無意味化、無関心化....例えば、政府が、ある法案の可決の目くらましとして、ある芸能人を逮捕する。そうした危険。

 

考えるな、感じろ...確かにその通りだと思うが、そこにある種の主体性を伴わなければ、情報を右から左へと、身体を通りすぎるだけの可能性もある。解釈というフィルターを通してこそ、蓄積されてゆく。記憶が、匂いが。

 

身構えず、ただ、ありのままを受け入れて、そこに残った香りを、情動を介した解釈により、絶えず、身体を再構築する。それが生きるということなのだろうか。

 

自分の文脈で解釈するのでなく、その対象の文脈を理解し、それを自分の内側へと再度吸収して行く。

 

意味は、体験/体感の後に、余韻としてやってくる。「考えるな、感じろ。そして余韻と共に、考えろ」が正解だ。